チーム訪問

2016/10/17
開志国際高等学校
新潟県

開志国際 【Vol.1】 富樫英樹 総監督 コーチングフィロソフィー

2014年に新潟県内で30年ぶりの全日制私立高校として、創立した開志国際。学校創設3年目の今年、男女ともにインターハイ出場・ベスト8入りという快挙を果たしました。
新興チームから強豪チームへと飛躍しようとしている開志国際チームの魅力に迫りたいと思います。

開志国際ってどんな学校?

新潟県胎内市に2014年(平成26年)4月にNSGグループの学校法人大彦学園によって開校された。国際コース、理数コース、アスリートコースがあり、バスケットボールをはじめアメリカンフットボール、陸上など競技毎の専攻に分かれている。敷地内に男女とも寮が設置されており、ほとんどの選手が寮で生活を送っている。
学校創設とともに本丸中学校にて、全国制覇を成し遂げた富樫英樹氏を教頭として迎え、男女バスケットボール部が創部された。現在の3年生が一期生として今年で3年目。女子は1年目からインターハイ、ウインターカップに出場の快挙を成し遂げ、男子も3年目の広島インターハイに初出場。チームニックネームはRED TIGERS。

開志国際高等学校HP
http://kaishi-kokusai.ed.jp/


富樫英樹 総監督 コーチングフィロソフィー

キーワード① 
一生バスケットに携わりたくて教員に。無知な自分に気付いた駆けだし時代


――指導者を目指したのは、いつごろですか。

大学2年ぐらいかなぁ。20年間生きてきて俺にはバスケットしかないかなぁと考えていました。入学当初はプロバスケットプレイヤ―を目指していましたが、日体大の3軍スタートで、もうダメかなぁと思って、大学1年から審判を始めました。先輩から教員になるのなら審判をやっておいたほうがいいぞと言われたので。

一生バスケットボールと関わりたい。じゃあどうするかと考えて、教員という選択肢だった。教員になりたくてバスケットを教えたわけではない。一生バスケットに携わりたくて教員をやっています。

授業は全然やりたくなかったですね、これ本音(笑) でも、教員になると、バスケットの指導者ではなくて教員。どういうチームになりたいかと求めてくと、心が大事ということに落ちついた。技術、戦略戦術だけではない。心が大事だというのが、自分の指導における核になりました。

新採用の年、長岡江陽中の女子を教えていました。2年目に、高田北城高校で、(1965年第18回長崎IH)を新潟の女子で唯一日本一に導いた滝川先生に出会いました。

当時、2年生に身体能力がある子がいて、練習を見に来られたんです。私なりの練習メニューでしたが、今思えば練習ではなかった。スリーメンのリピートをやっていただけ。20分くらいして「何の練習をしている?トラベリングシュートの練習をしているのか」と聞かれて答えられませんでした。そこからです。そこからバスケットが始まりました。「練習を見ていいか?」と聞かれ、子どもたちを預けたら、1時間チェストパスのみ。チェストパスってこうやって教えるんだ。と気が付いたことが原点中の原点。1年半で自分の無知に気付いた。それが良かった。回りの人に比べたら自分はバスケットを知らないんだと気付いたのが早かった。

高田北城高校のバスケットにはドリブルがなかった。パスもシュートも足なのだと分かって衝撃的でした。当時他県の選手は打つのに、新潟県の女子はジャンプショットがない。ディフェンスで引っかけてレイアップだけでした。ジャンプショットってこう教えるんだ。と、長岡江陽時代に女子を教えた3年間で、7、8割の勉強をしました。3年目で目標の県大会優勝を達成。3年目には、新潟工業短大の阿部先生のところに通ってインディアナ大学のモーションオフェンスを勉強しました。パスしたら動いて、スクリーンまであるんだ(笑)と。新潟県内ではパスしたら能力ある奴が1対1という程度のバスケットでした。

――すんなり素直に取り組める心も関係していますか?

指導者は人の話を聞く耳がなければだめ。子どもも一緒。教えられたいのか、教えられる気がないのかで全然違う。素直な心がなきゃだめだし、人として最低限のことができなきゃ、挨拶するのは当たり前。そういうことが大事だということを言っていくと、能力がなくても意外に勝つには早い。特に中学の場合、能力がある選手とそうそう出合わない。

――それは中学も高校も同じ?

そうです。大人になっても、ナショナルチームも同じだと思います。気持ちはプレイに出ます。一発で見抜かれます。人生、人としてだから。死ぬまでそれは一緒ではないかと思います。

――中学校教員の採用はすぐ受かったのですか?

2年間講師をやっていて、3年目に受かりました。

――審判はいつまでやられていたのですか?

大学で東京都の公認審判を取りました。新潟でもやっていましたが、チームに専念ということでやめました。土日に自分のチームをおいて審判をすることはできませんでしたから。日本公認まで取って、A級を目指せといわれたのですが、審判は引退しました。

――中学校教員はどのくらい勤められたのですか?

1校目は、長岡市江陽中、2校目は新潟市上山中、3校目は新潟市木崎中、4校目が新発田市本丸中です。本丸には16年間いました。新発田市の教育委員会、新潟県の教育委員会に感謝しています。

――中学から高校にステージが変わって変化はありますか?

全然変わらないですね(笑) 中学の教員時代、インターハイとか高校の試合を見ていると高校生は大人だなぁと感じていたのですが、いざこうやって高校の指導者になっても変わらないです。


キーワード②
自分たちで考えることが一番。バスケットIQの高さが成長の証

――中学から高校と指導するカテゴリーを変えたのは。

大学の時から高校の教員が目標でした。ただ、採用の問題で中学教員になった。最初の夢は高校で教えたかった。だから開志国際は願ったり叶ったりの話でした。

――教え子たちはバスケットIQがみんな高いですね。

IQを含めて心がいい。他の学校を知らないのですが、教え子はどこに行っても活躍するので、逆に不思議でした。この子たちがどの高校に行っても地元に残ってもみんなキャプテンをする。県外のトップレベルの高校に行ってもけっこう使ってもらえたり、エース格で活躍している。それにはびっくりです。

――それはなぜだと思うかと選手に聞いてみたら、自分たちで考えることが一番だと。

僕の指導方針が、一緒にやっているAコーチの津野の代から変わりました。

――どう変わったのですか?

昔は「カラスは白だと言えば白」と言わせた指導スタイル。それを、自ら考えて、行動して、責任取れる子を育てたほうがいいと発想を変えたのです。勝ちたければ工夫をしろと、それからずっと勝っています。

昔は厳しいこともしていたけれど、それ以来していない。しなくなってから勝っています。

不思議なものです。やっぱり子どもたちの力が身に付いている。今も同じスタイルです。


「考える力がなければ、本番に弱い」です。練習でも、残り何秒からのシチュエーションをかなりやります。中学時代は長い時間練習ができないので、せいぜいスクリメージをやっても3分。今でも1往復、長くて2往復。その1本の大事さを感じているのかも。

あとは、1ミスで交代ですから。ミスの厳しさ、1本の大事さがわかっているから、頭でバスケットを覚えないと、そういうIQは高いと思います。

キーワード③
選手に求めているのは、人としての成長

――選手に求めていることは?

人としての成長です。

技術のファンダメンタルとチームのバスケット像に当てはめていく中で、人としても同じ比重かなと思っています。ファンダメンタルも技術も高校生ならできているかなぁと思ったらできていないんです。これにはちょっと驚きました。

あとは、勝負の1本。「ここだ」ということがわかるかどうか。

車でいえばギアチェンジができなきゃダメだ、と。この大事な1本。50-20で勝っている試合でスリーポイント決めろなんて言っていません。競っている時にどうやって点数を取るか。そこで決められるかが大きな違いを生みますね。


――男子にとって初の全国大会であるインターハイを終えての実感、手応えはどうでしたか?

全国に出られた嬉しさがまず、先でした。

どうやって帝京長岡のタヒロウに勝つかをずっと考えていました。振り返ってみて、どっちに転んでもおかしくなかった。普通の流れなら帝京長岡ですよ。もしかしたら神様がいるのかなぁ、と感謝しました。
初出場で初優勝。インターハイで優勝を狙っていくぞといっても、本音はそこまでのチームではないなと。ベスト8で十分かな。

ただ、いいわけになりますが、U-18で途中まで不在だった伊藤領のことがなければ、大会で全部のチームを見て思うことはあります。ウインターカップこそは、と期する部分があります。

しかし、ウインターカップもあくまで予選を終えなければ全国の話はできない。また元に戻って、あそこを倒すために、と6月までそこ1本に絞ってきました。インターハイの組み合わせを見ても肝心要のエースがいない。どうやってしのぐか、正直まいりました。3週間前から本人はいない。チームは作り直し、でも3試合目からは居るから居る間は含めた練習をする。なかなか苦しかったです。抜けたチームはほとんどが負け。やはりバスケットはそう簡単ではない。


――「男女で日本一」という目標が、ゴール下にあるということに、意味があるのですね。

誰でも目につくところに貼っています。生意気かもしれませんが、高校に来てからの完成年度は今年でもあり、最高記録なんですけど、今後を考えた時には今年を最低の目標にしたい。日本一の目標だけは永遠に変わることはないです。


取材・文:清水広美 / 写真:清水広美、一柳英男


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