2016/07/25

UMASUKEのバスケ今昔物語 【Vol.1】 能代工業のインターハイ初優勝

第1回 「能代工業IH初優勝を見た」

UMASUKEさん、これから高校バスケの歴史をいろいろ教えてください。
―はいな。高校バスケ観戦歴47年のワシが今まで見てきた高校バスケをお話しようかのぉ


大学ではバスケ部と落研に入ろうと思ったものの、結局、落研は忘年会しか参加していなかった、籠球亭馬助ですじゃ。
ほほほっ。
UMASUKEと呼んでくだされ。



今年激震となった、高校バスケ界の名門・能代工業業の予選敗退。
ワシは、実は能代工業業のIH初優勝を見ているのじゃ。

あれは46年前のことじゃった。1970年(昭和45年)8月に開催された和歌山IHは能代工業業(秋田)と慶應(神奈川)の決勝戦を迎えていたんじゃ。会場は、和歌山出身の松下幸之助氏が私費を投じて建設、和歌山市に寄贈した和歌山市立松下体育館だったな。

今でこそIHの会場は冷房が効いているのが当たり前じゃが、当時は最新の体育館でもほとんど冷房はなかったんだぞ。まさに「暑いインターハイ」じゃった。

能代工業は1967年(昭和42年)の埼玉国体で優勝はしていたものの、IHの決勝を戦うのは初めて。キャプテンでガードの山本浩二、センターの小玉一人を中心に、その年の6月に開催された東北高校選手権で4年連続4回目の優勝と勢いに乗っていたんじゃ。今でも彼らの名前はフルネームで言えるな。おっほん。何より、前年の宇都宮で開催されたIHでは、その年優勝した中大附属(東京)に準々決勝で63-62と惜敗していたメンバーがほとんど残っていたんじゃ。

一方、慶應もインターハイ初の決勝進出じゃった。188㎝と長身ながらシューターの桑田健秀を中心に、ディフェンスを頑張るチームとして定評があったんじゃ。6月の関東高校選手権では前年のIHで優勝していた中附を破り初優勝を果たしていたな。当時は関東で優勝すれば、ほぼIHでは優勝あるいはベスト4に入ると考えられていたものじゃ。

満員の観客の中試合開始。能代工業はゾーンプレスディフェンスで、慶應はマンツーマンディフェンスでスタート。ゾーンプレスにはパスでつないで行くのが常だが、能代工業は慶應のガード柳橋秀樹のロングパスをことごとくインターセプトしたんじゃ。なかなか慶應にフロントコートのシュートまで持ち込ませない。慶應はロースコアに持ち込みたいが、能代工業はガンガン走り、ハイスコアゲームとなる。対照的なチーム同士だったなぁ。慶應にとって悪いことに、得点源・桑田が前半終了間際にな、なんと5ファウルで退場。前半を能代工業40-30慶應で終了。後半、慶應はフォワードの関雅之が頑張り、必死に追いかけたが、40分間走り回っても途切れないものすごいスタミナを持つ能代工業が86-66で慶應を破り、IH初優勝を遂げたんじゃな。

あんたたちは知らんと思うから、その後の彼らのバスケ人生を紹介するぞ。能代工業の山本浩二は小玉一人とともに明治大学に進学。4年後の天皇杯(オールジャパン)では決勝リーグで住友金属、日本鉱業、松下電器を破り、大学チームとして最後の天皇杯優勝を果たしている。若い力の台頭に代々木第二体育館はおおいに沸いたもんじゃ。もちろん、ワシも毎日代々木第二に通ったぞ。

慶應の桑田健秀は慶應大学に進学。卒業後日本鋼管(NKK)では山本浩二と同じチームとなり、日本リーグ優勝、天皇杯優勝に貢献するとともに、1976年モントリオールオリンピックに代表選手として参加しているんじゃ。それ以来、日本はオリンピックに出ていないんじゃ…。

はからずも能代工業が全国大会で優勝、ベスト4と活躍しているのをずっーっと見てきただけに、今年の夏は少し寂しいのぉ。

文:UMASUKE



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