2017/04/3

UMASUKEのバスケ今昔物語 【Vol.7】 リングの進化によって豪快なダンクが花形に!

高校バスケ観戦歴48年のツワモノUMASUKEさん、高校バスケの歴史を教えてください。

「はいな。大学ではバスケ部と落研に入ろうと思ったものの、結局、落研は忘年会だけ毎年参加していた、籠球亭馬助ですじゃ。ほほほっ。UMASUKEと呼んでくだされ。今までワシが見てきた高校バスケをお話しようかのぉ」

【第7回】 リングの進化によって豪快なダンクが花形に!

◆ダンクとの出会いは50年前
その破壊力あるプレーに度肝を抜かれる

今ではインターハイやウインターカップに出場する男子チームの中には、ダンクが出来る選手が当たり前のように居るようになったな。

ワシが初めてダンクを観たのは、1967年(S42)の夏に行われた「VFV(Venture for Victory=アメリカのキリスト教系大学選抜)vs早稲田大学(前年インカレ3位)」の国際親善試合でじゃった。つまり、今から50年も前だからワシが中学生の時じゃな。 

2mを超えるアメリカ人選手がリングの上からボールを叩き込む姿を観たときは、腰を抜かさんばかりに驚いたな。当時はテレビでNBAの中継もなかったし、国内の試合でもダンクは観たこともない上に、その頃はそれが「ダンク」と呼ぶことさえ知らなかった(笑)。

高校生になり、関東大学リーグ戦を観に行くようになると、上位チームの選手の中には1名か2名ぐらいは試合前のアップ中にダンクするのを見かけるようになった。

リングの進化が現在の華麗なダンクの競演を可能にした

◆NCAAチャンピオンチームが来日。
親善試合で観たデビッド・トンプソンの豪快なダンク

試合中のダンクで一番すごかったのは、1974年(S49)の夏に行われた、日本代表vsノースカロライナ州立大学(NCS)の国際親善試合でじゃった。NCSはその年のNCAAトーナメントで優勝し、ご褒美にアジアツアーを行い日本にも立ち寄り、日本代表がアジア競技大会へ向かう前の「壮行試合」として対戦したのだ。

当時の日本代表は、谷口正朋(日本鋼管)、阿部成章(日本鉱業)、横山邦彦(住友金属)、千種信雄(住友金属)、杣友厚(住友金属)、森哲(住友金属)など2年前のミュンヘンオリンピック参加メンバーが中心。

一方のNSCはデビッド・トンプソン、モンテ・トゥーなどNCAA優勝メンバーがずらり。特にデビッド・トンプソンは「バックボード上のコインをジャンプして取ることが出来る」とまで言われたすごいジャンプ力を持った選手。そのトンプソンが試合中、センターライン付近でインターセプト。そのままドリブルで進み、リングのはるか上(肘がリングより上だった)からダンクしたのを観たときは、言葉を失ってしまったものじゃ。

後で聞いたところ、当時のアメリカではダンクでリングやバックボードを破壊することが多発したため、1967年からNCAAルールでは試合前のアップも含めて「ダンク禁止」となり、公式戦ではリングの真ん中に、上からそっと置いてくることしか出来なかったらしい。ところが、NCSのアジアツアーでは国際ルールだからダンクOKなので、それまでの“うさ”を晴らすようにダンクやり放題となったのじゃ。

◆「プレッシャー・リリース・リング」の発明によって
NCAAでも“ダンク禁止”が解禁され、一気にポピュラーに

1975年「プレッシャー・リリース・リング」がアメリカで発明され、これによってNCAAルールも1976年から改訂され、ダンクがOKとなった。「プレッシャー・リリース・リング」とは、リングに一定の荷重が掛かると下に折れて圧力を逃がし、荷重がなくなるとバネの力で元に戻るリングのことで、別名ブレイクアウエーリムともいう。

その後トンプソンはNCSを卒業し、当時のABA(American Basketball Association:後にNBAに吸収)のデンバーナゲッツやNBAのシアトルスーパーソニックスで活躍した。引退後、1996年には「バスケットボールの殿堂」入りを果たした。さらに2009年、史上最高のバスケットボール選手と言われたマイケル・ジョーダンが「バスケットボールの殿堂」入りをする際に、マイケルが憧れ、尊敬していた選手としてデビッド・トンプソンがプレゼンテーターとして指名された程じゃ。

リングの根元にバネを入れることでどんなダンクも可能となった

そもそもワシが「プレッシャー・リリース・リング」を最初に観たのは、1984年4月にハワイのホノルルで開催された「アロハ・クラシック」の時じゃった。このアロハ・クラシックというのは、3月末あるいは4月初めにNCAAトーナメントが終了し、NBAのドラフト上位に指名される自信がある選手は参加しないが、ドラフトの当落上の選手が全米の大学から選抜され、自分の技量をNBAのスカウトの前で披露する大会として毎年ホノルルで開催されていた。

この大会は言わば「就職試験」なので、試合中はダンクのオンパレード。ダンクのたびにリングが下がるのだが、なぜかリングやバックボードが壊れない。なぜだろうと目を凝らして観ると、どうやらリングの中にバネが入っていて戻る仕組みになっていたのが分かったのじゃ。

1989年、日本でこの「アロハ・クラシック」が「ジャパン・クラシック」と名前を変えて開催することになり、同時に「プレッシャー・リリース・リング」も日本に導入され、徐々に日本全国の公共の体育館でも導入されるようになった。まあこれにより、日本の選手も安心して試合中に「ダンク」が出来るようになった訳じゃな。

◆アップでリングをつかんで「テクニカルファウル」に。
前代未聞のフリースローから試合が始まった

とは言え、むやみにリングをつかんだり、ぶら下がってはいかんぞ。唯一許されるのはリング下に他の選手がいて、そのまま降りるとケガをさせる危険性があるなど、危険回避のためだけにリングをつかんだり、ぶら下がることが許されているのじゃ。

1990年、名古屋で開催された第11回アジアジュニア選手権大会で、日本vsフィリピンの試合前、アップしていたフィリピン選手がリングをつかんでいたため、主審が「リングをつかまないように」と警告。しかし、その後もフィリピン選手が警告を無視してリングをつかんだため、主審は「テクニカルファウル」を宣し、試合は両チームによるジャンプボールからではなく、日本のフリースローから始まるという前代未聞の試合となった。このことからも分かるように、ルールを熟知しておかないと、「知らなかった」では済まされない事態に陥ることがあるから気をつけて欲しい!

でもまあ、高校生の試合中でもダンクを観ることが出来るようになったのじゃから、50年前とは大違いじゃな。長生きはするものじゃ(笑)。


文・写真/UMASUKE  



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