2017/05/13

UMASUKEのバスケ今昔物語 【Vol.9】 地域密着の希有(けう)な大会、能代カップ<その2>

高校バスケ観戦歴48年のツワモノUMASUKEさんが観た「能代カップ2017」。
30回目の節目の今年は、参加チームも増え、会期も1日多く開催された。UMASUKEさんのコラムは、「大会運営」の視点から<その2>をお届けする。

【第8回】地域密着の招待大会
30周年の能代カップを観戦して

◆「大会運営」という視点<その2>
地元ファンに能代工業の勇姿を見せたいとの思いで創設される 

 能代市自体は人口約5万4000人と決して大きい都市とは言えず、繁華街も全国展開している大規模小売店がある柳町を中心に、歩いて5分ほどで通り抜けられる規模だ。
 
 大正から昭和にかけて秋田杉などの豊富な木材の取引を中心に「東洋一の木都」と言われるほど隆盛を極めた都市だ。そのせいか、市民のスポーツや文化に対する関心度は高く、料理に関しても洋食、中華、和食など「ここで、こんなに美味しい料理を食べることができるとは思わなかった」と、感嘆の声を聞くほど隠れた名店が多い。

 秋田県の中でも青森県に近い場所なので、県庁所在地の秋田市から電車やバスでも1時間はかかるところに位置している。街の北側には世界自然遺産の「白神山地」が控え、標高1200mを超える白神岳、向白神岳の山頂には5月に入っても未だ雪が残っている。


能代の街から世界自然遺産の白神山地をのぞむ。左が白神岳、右が向白神岳。能代の冬は厳しい寒さで、この環境で古豪・能代工業の強さが育まれた

 能代工業高校バスケットボール部がインターハイ、国体、ウインターカップ等、全国制覇を58回も達成しているのだから「バスケの街 能代」と言えるのはもちろんだが、その下地となったのは平日、能代工業の練習を普段から見学に行くほど熱心な市民たちであったことは言うまでもない。だからこそ「能代カップ」も同様に、地域に密着した大会として30回を迎えることができたと言えよう。

 大会期間中、試合を見終えて食堂で夕食をとっていると、隣のテーブルにはやはり能代カップを観に九州や関西など全国から来たチームの父兄たちが集っている。年に一度、能代市の同じ食堂で同じタイミングで、会う約束をした訳ではないのに再会し、高校バスケットについて熱く語れるのはインターハイやウインターカップの会場ではなく、能代でしか味わえない暖かい経験とも言える。


「必勝不敗 能代工高」の伝統の横断幕。全国大会ではいつもこの横断幕がライバルチームを怖れさせていた

 そもそも能代カップを創設した加藤廣志さん(元能代工業高校監督、大会名誉副会長)によれば、「会場に来る子どもたちをはじめとする市民に、能代工業の勇姿と全国でもトップレベルの試合を見せたい」との思いからスタートしたとのこと。第1回の1988年当時、すでに全国大会で29回優勝していたが、能代市民は県の大会や地区の大会が能代市で開催される場合を除けばその勇姿を観ることができなかった。それを何とか解消しようとの思いもあったと聞く。

 しかし、これはまさにに昨年からスタートしたB.LEAGUEの3つの使命に匹敵する。

 1)世界に通用する選手やチームの輩出 
 2)エンターテイメント性の追求 
 3)夢のアリーナの実現(地域に根差したスポーツクラブ)

 能代カップそのものの運営はアマチュアのボランティアではあるものの、NPO(非営利団体)としての組織運営をしっかりと行いながら、時代を先取りして作られた大会と言える。加藤廣志さんには大会運営を支える「人材の育成」も含めて、先見の明があったことは間違いないであろう。

 全国の高校生諸君、将来、機会があったらバスケットボールの仲間や家族とともに、ぜひとも能代カップを観戦しに能代を訪れてほしい。バスケットボール好きならば、朝9時から夕方6時まで、座りっぱなしで腰が痛くなるのを我慢しながらじゃが、大会期間中、どの試合も目が離せない楽しい時を過ごせること間違いないぞ!


連日、能代工業高校のバスケット部員たちが、9時からの試合に備えて7時30分には体育館の観客用パイプ椅子をメジャーを使って整然と設置していた。また、コートのラインの補正なども行っていた。 開場前の誰も観ていないところでの万全の準備作業がこの大会をしっかりと支えている


中部大第一戦とでリバウンドを競り合う能代工業#6新田由直




能代工業の新たな歴史を託されている栄田監督


記念撮影用に会場に置かれたボード






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