2017/02/17

トップアスリートの高校時代 オリンピアン【第5回】 山田かがり (Vol.1) バスケットとの出会い~守山中時代

オリンピックに出た“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。それとともに、高校生プレイヤーへの熱いメッセージも。リレー方式でつないでご紹介します。ミラ(永田睦子さん)から指名されたのは、コートネームの名づけ親かがり(山田かがりさん)がリターンパスをキャッチしました。


全国中学校大会で前人未踏の8連覇を遂げた守山中(愛知県名古屋市)。山田選手(#11)は下級生のときからその高さを生かして活躍した(写真は全国中学校大会より)

山田かがり

(Vol.1)バスケットとの出会い~守山中時代

守山中(愛知)では全中8連覇を経験、名古屋短付高校(現・桜花学園高校:愛知)でも名門チームのエースとして活躍。実業団ではシャンソン化粧品から富士通で活躍した山田かがりさん。高校時代から定評があったしぶといゴール下とサウスポーを生かしたシュート、さらにリバウンド、ルーズボールと、球際の強さから玄人受けするプレイヤーとして名をはせました。

日本代表としては、高校時代に世界選手権メンバーに選出され、アトランタ五輪、バンコクアジア大会に出場を果たしています。コートネームは名前のまま「かがり」。お父さんが命名したように、かつては灯台のかわりとなった篝火(かがりび)。そのあかりのように、周囲を照らし続けた選手です。一線を退いた後は指導者に転身。女子バスケットボール界を引っ張ってきた一人といえます。

名古屋の小学校はミニバスではなく
バスケットボール

 私なんかが登場するのは、おこがましいのですが、よろしくお願いいたします。バスケットボールを始めたのは名古屋市の春田小学校4年生からです。ミニバスはやっていません。名古屋市の小学校にはミニバスだけでなく部活もあり、普通の高さ(3m05㎝)のゴールを使うバスケットボールをやっていました。

ただ、最初はソフト部に入りました。当時はシーズン制の部活で、春から夏がソフト、秋に陸上をやって、冬にバスケットをやる。ソフトはまだ4年なのでほぼボール拾いの記憶ぐらいしかありません。あっという間に夏が終わって、秋に陸上をやった時に陸上の先生がバスケの顧問の橋本先生に「大きくてこんな子いるよ」と教え、「1回見学に来てみれば」と誘われました。

その日が練習試合で、運動できる格好で見学に行ったわけでもないのに、いきなり先生に「やってみな」と言われ、ルールも知らないまま試合に出たんです。何も知らずに恥ずかしいやら、泣きながら試合に出ていました。でも、友だちもいたせいか、いつの間にかバスケを始めていました。その後、学校がバスケットに力を入れ始め、部活が通年の活動になり、保護者の協力もあって時間も夜までできるようになり、先生の熱も高まっていきました。小4当時の身長は155㎝、5年で165㎝と毎年10㎝ずつ伸びて、卒業の時には171㎝になりました。そのまま順調に行けば2m(笑)。しかし、中学や高校ではあまり伸びませんでしたね。井上眞一先生(現・桜花学園)には、渡邉温子(名短付~愛知学泉大~シャンソン化粧品~デンソー)とともに「(身長が伸びなくて)期待はずれ」と後に言われました(笑)。


守山中時代の山田選手。サウスポーのシュートの巧さが光っていた

1試合43点! “パフェに釣られて”
昭和ミニバスの練習に参加

チームは、強くありませんでした。区大会でいつも負けていて、市大会を目指していました。私が170㎝で、他にも160㎝台がいて大きいほうだったので、「これなら市大会を目指せる」と、先生が区大会の抽選に行ったら、高校で同期となった大平智恵美(名短付高~日体大~JAL)がいた優勝候補の愛知小と1回戦で対戦することになりました。

先生が「(本気で)やる? やらない?」と聞いてきました。その意図は「挑むか、あきらめるか、どっち?」だと。「頑張ります!」と言って練習し、試合は結局1点差か2点差で負けました。私をマークしていた子がすぐに4ファウルになって何もできなくなり、私に球を集めた結果、45点中43点を取った試合でした。このことは後で、昭和ミニバスの服部幸男先生が教えてくれました。負けて悔しかったことしか自分では覚えていません。

ミニバスはやっていなかったんですが、顧問の橋本先生が「もっと勉強をしたい、チームも強くしたいから」と、服部先生に直談判して当時、明徳小学校(名古屋市)でやっていた昭和ミニバスの練習にみんなで参加させてもらいました。

その時初めてミニバスのリングを見てびっくり。3m05の正規のリングに比べると低いので、「なんじゃこりぁ」と。そこで、初めてバックシュートを教えてもらいました。練習は厳しくて、「またおいで」と言われたものの、「私たちにはあんな練習は無理だ」と。でも、そこは先生も作戦を考えたようで、「あなたたち、最後まで頑張ったら帰りにパフェをごちそうしてあげるから」と、甘い誘惑にのっかって昭和ミニバスの練習に何回か行った記憶があります。練習の帰りには当然、チョコレートパフェを先生からごちそうしてもらいました。

2人の井上先生にファンダメンタルを教わった守山中時代

井上眞一先生(名短付高=現・桜花学園高校)との出会いは、小学校6年の12月に名短が主催する小学生の招待試合「名短カップ」に、弱小チームなのに呼んでもらったのがきっかけです。

当時の井上先生は、守山中と名短の両方のチームを指導していて、一緒に練習をしていました。先生には守山中で1年間教わり、2年からは井上昭(あきら)先生が守山中に異動してきて教わりました。

中学校に入学しても“ど素人”のようなものだったので、先生からは無茶口茶怒られていました。2つ上には野田香さん(名短付~日立戸塚)、川島由美さん(名短付~愛知学泉大)1つ上にはコウさん(竹内高美さん=名短付高~愛知学泉大~シャンソン化粧品)がいて、同期にはチィ(大平智恵美さん)がいました。

守山中は名短と一緒に練習していたので、6学年一緒の練習です。井上眞一先生はとにかくファンダメンタルを重視する練習でしたので、私はそのファンダメンタルを徹底的に叩き込まれました。守山と名短の6年で、後の自分の基礎ができたと思っています。パス、ピボット、ドリブル……。シュートは身長があってもツーハンドショットだったので、ワンハンドになるまで鍛えられました。毎日、「ひじが開いている」とか、「左肩を前に出す」とか、それまでやったことがない慣れないことばかりで、時には先生がつきっきりで口すっぱく注意されていた覚えがあります。シュートフォームは、高校に入ってもフォームが崩れるたびに直されました。なかなか習得するのに時間がかかりましたね。

あとの練習はラリーが中心で、速攻の5対5で走っていました。フォーメーションもほとんどなく、ディフェンスもほぼやっていませんでした(笑)。そのころの映像を今見てみると、恐ろしいほど膝がまっすぐで曲がっていません(笑)。

取材・文/清水広美  写真提供/山田かがりさん

※次回のVol.2では、名短付高(現・桜花学園高)での思い出を紹介します。


抜きん出たオフェンス力で全国中学校大会で連覇を続けた守山中。右端が山田選手、#4は1つ先輩の竹内高美選手

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