2016/12/1

トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第1回】 濱口 典子 高校生へのメッセージ


全日本女子代表チーム選手リレー企画「オリンピアンの高校時代」。
オリンピックに出た“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。
連載の記念すべき第1回目は、アタランタ・アテネの2度のオリンピックに出場し、国内リーグでは現在のJOMO・アイシンAW
でご活躍された通称「マック」こと濱口典子さんです。

濱口 典子 (現姓・小磯)

高校生へのメッセージ&プロフィール

高校生へのメッセージ

今、スポーツでは一生ご飯を食べていけない状況です。じゃあ、「なぜバスケットボールをするのか」そして「なぜ勝ちたいのか」「勝ってどうするのか」「どんな勝者になるのか」をちょっと考えてほしいと思います。それでもバスケやるの?

おそらく「やるよ」という答えが返ってくるでしょう。

なぜ、という部分が大事だと思います。
スポーツ選手には引退が必ず来ます。その時、勝負や結果に目標がある場合と、もっと違う所に目標がある場合とではその先の人生が変わってくると思うのです。

スポーツで生活できる社会ができればいいな、と思っています。素晴らしいものを得られるスポーツで生活が成り立つ社会になってほしいです。


プロフィール

コートネーム:マック (米国のバスケットボール選手カトリーナ・マックレインにあやかって)

1974年1月15日生 183cm/78kg/C

鶴鳴女子高校では浜松インターハイ優勝、ジャパンエナジーサンフラワーズに入社。JOMOサンフラワーズの黄金時代に貢献。(JOMOサンフラワーズ、JXサンフラワーズ、JX-ENEOSサンフラワーズとチーム名変更)

1996年にはアトランタオリンピックに出場し日本の7位入賞に貢献。この頃から全日本のセンターに定着。3度の世界選手権も経験。バンコクアジア大会では金メダルを獲得。

2004年のアテネオリンピックを最後に一度は現役を引退したが、翌2005年に金平鈺元ヘッドコーチがアイシン・エイ・ダブリュ ウィングスのヘッドコーチに就任すると、移籍して選手兼コーチとして現役復帰。古武術研究家の甲野善紀に師。2006年にはWリーグ昇格に導いた。

2007年に結婚。旧姓・濱口典子としてバスケットボールを続けていたが、2008年代表復帰を機に登録名を小磯典子に改めた。

2007-08シーズンは再び選手に専念。

2008年の北京オリンピック世界最終予選で代表復帰。五輪3大会出場ならず。

2010年2月 2度目の引退。アイシン・エイ・ダブリュ退社。

出産を経たのち、2012年4月より母校・鶴鳴学園長崎女子高校の職員として後輩の指導に当たる傍ら、2年後の地元開催の国体に向けクラブチーム、ストレッチに所属。長崎県立総合体育館館長も務める。

2014年、第69回長崎国体にて選手宣誓。

現在は埼玉県にてバスケットボール教室を開く。

http://www.ops.dti.ne.jp/kakumeih/index.html

経歴
鶴鳴女子高校- JOMOサンフラワーズ(1992年〜2004年)- 引退 - アイシン・エイ・ダブリュ(2005年〜2010年)

日本代表歴
1994年世界選手権
1994年アジア大会
1996年アトランタオリンピック
1998年世界選手権
1998年アジア大会
2002年世界選手権
2002年アジア大会
2004年アテネオリンピック
2008年北京オリンピック世界最終予選

文:清水広美 / 写真:本人提供

【第3回】 大山 妙子 (Vol.1) バスケとの出会い こちらから。

【第3回】 大山 妙子 (Vol.2) 高校進学~実業団(現WJBL) こちらから。
【第3回】 大山 妙子 (Vol.3) 日本代表入り~2度の五輪出場 こちらから。
【第3回】 大山 妙子 高校生へのメッセージ&プロフィール こちらから。
【第2回 前編】 川上 香穂里 高校バスケ時代 こちらから。
【第2回 後編】 川上 香穂里 全日本代表チーム~現在 こちらから。
【第2回】 川上 香穂里 高校生へのメッセージ&プロフィール こちらから。
【第1回 前編】 濱口 典子 バスケとの出会い~高校時代 こちらから。
【第1回 後編】 濱口 典子 全日本代表チーム時代 こちらから。


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