2017/01/12

トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第2回 後編】 川上 香穂里 全日本代表チーム~現在

全日本女子代表チーム選手リレー企画「オリンピアンの高校時代」。
オリンピックに出場した“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。
今の高校生プレイヤーへのメッセージも。リレー方式でつなぎます。
後編では、全日本代表チーム時代から現在までのお話をお聞きしました。現役時代の懐かしい写真もご提供いただきました。

川上 香穂里 (現姓・楠田)

ナショナルチーム

4年目くらいに入りました。ケガしたのは5年目くらいです。復帰はすごく早かったです。8か月で復帰できたんですが、またやってしました。また1年棒に振ってしまい、今度は半月板。よく回りも我慢してくれたと思います。
アテネオリンピックの時は、毎日気温が40度以上あって、タオルを振り回すと乾いたくらい。みんなフードをかぶって紫外線に当たらないようにしていました。
ナショナルチームはジュニアの延長ではなく、大人のチーム。エースは入り続けていました。一緒にやっていた人が経験をしていたので、入りやすかったのかなぁ。ただ、入った時の監督が中川さん。金さんと雰囲気が違いました。システムオフェンスだったから、フォーメーションが50個あったんですよ。

50個を全部覚えなくてはいけないことと、ガードは全部のポジションの動きを覚えなくてはいけない、と言われていました。誰かが忘れていたら、それを指示して教えなければいけない。それも自分が決めるのではなく、中川さんの指示。50種類の中、いつどこで何が来るかわからない。同じ動きでも右と左では番号が違う。

夜、ひたすらノートにフォーメーションを書いて、復習をしていました。当時のPGの先輩はミチさん(村上睦子。星城~シャンソン)だったので、どうやってやるんですか? と泣きながら聞いたり。練習前にコートに来て、わからない後輩たちと反復練習をしていましたね。
オリンピックというより、アジア予選が日本(仙台)で開催することで、ど緊張していました。とにかく、日本中応援してくれていて、世界選手権の枠が3つあったので、チャンスは逃せない。当時結婚したばっかりで、いろんな形で自分はプレッシャーを勝手に感じて、追い込んでいました。チャイニーズタイペイ戦のあとに病気をしてしまって、韓国戦より次の試合が勝負だから部屋で点滴しときなさいと言われました。そしたら、後輩たちが大爆発して勝利。自分の中では不完全燃焼でした。連れていってもらっていると感じがあったので、オリンピックに出ていいのかなという葛藤もありました。みんなが、「オリンピックは絶対出るべきだよ」とプッシュしてくれました。だからオリンピックに関してはまず楽しもう、と。なおかつ、オリンピックで最後と決めていたので、そこで完全燃焼できればいいかなぁと思っていました。エースとマックさんとずっと一緒にやってきたので、一人ではきっとできなかったです。
両親と、主人の母もアテネに応援に来てくれて「お疲れさま」と花束をもらいました。これで引退と公言していたので。今年、唐瀬原中の中島邦子先生が亡くなられました。その時、一緒に住んでいた先生の妹さんに言われたことが「香穂里、お前が先生のいきがいだったんだよ」と。そういう、いきがいを感じてもらえた人が1人でもいるのだったら、本当にやっていてよかった、中島先生の指導のもとでやれてよかったと逆に思いました。現役選手生活をやめることで悔いはあるかもしれないですけど、次にやれることといったら、選手はできないけど、指導者としてはやっていけるのかな。子供たちにいろんな形で教えられればという思いもありました。

共栄大学の監督に

それが共栄大学の監督を引き受けたことも少なからず影響はあります。私が指導者になるなんて、誰も思わなかったでしょうね。「まさか!」「お前、できるの?」が、周囲の反応でした。皆さんが不安に思うことも確かです。でも、自分がやらなくてはいけない。せっかくオリンピックに行ったのであれば、行っただけでは今まで私がバスケットをやってきたことが終わってしまう。バスケットでお世話になってきているのに。もう少し携わることができないかと思って、指導をやってみたいなぁと思いはじめました。
縁あって、共栄大学で監督となって今年で7年目。一からのスタート。1年生9人の部員だけで、5対5には私が入って一緒にやっていました。監督には向いていないと思っていました。コーチ業ならできると思っていましたが、誰の下にもつくことはなかったので大変でした。4部から始まって、今年の入替戦、おかげさまで、ようやく2部に昇格できました。
指導者って難しい。バスケットだけを教えていればいいわけではありません、私生活や将来のことも考えてあげなくてはいけない。大学生だから授業もあるのでそれを配慮しながらいろんな形でやっていかなければなりません。それが難しかったですね。現在部員は33人。横浜から春日部まで車で2時間、年末になると3時間かけて練習に通っています。オールコートのディフェンス、走るバスケットがチームカラーです。

取材・文:清水広美 / 写真:楠田香穂里提供

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