2017/01/18

トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第3回】 大山 妙子 (Vol.1) バスケとの出会い

オリンピックに出た“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。
それとともに、高校生プレイヤーへの熱いメッセージも。
リレー方式でつないでご紹介します。
サンちゃん(川上香穂里さん)から指名されたエース(大山妙子さん)がボールをキャッチしました。

大山 妙子


現在、テレビのバスケットボール中継の解説やバスケットボール・クリニックなどでおなじみの大山妙子さん。
東亜学園高校時代は、ディフェンスが3人がかりでも止められないほどの1対1の強さで、多くのファンを魅了。
さらに共同石油(現・JX-ENEOSサンフラワーズ)に入団後はプレイの幅を広げ、シューティングガードとして活躍しました。
また、相手の得点源に“仕事をさせない”読みの深いディフェンス力もピカイチの選手でした。
日本代表としては、アトランタ五輪とアテネ五輪の両大会に出場。アテネ大会では代表のキャプテンとして強いリーダーシップを見せてくれました。
高校時代からの愛称は「エース」。その名にふさわしいプレイで、女子バスケット界を引っ張ってきた一人です。

(Vol.1) バスケとの出会い

ミニバス経験は数か月だけ。小学校時代はスポーツ万能

そもそもバスケットボールをやるとは思ってもいませんでした。今は名前が変わったのですが、桃園第三小学校(東京・中野区)には当時、ミニバスのクラブがなく、体育の授業でふれるくらい。ポートボールが主流の時代だったので、バスケットとは無縁でした。水泳をはじめ、運動全般が大好きで、男の子に混じってサッカーやドッジボールなど、何でもスポーツをこなしていました。授業でバレーボールをやる機会が多かったため、中学に進んだら、バレーをやるんだろうなと漠然と思っていたぐらいです。

小学校では水泳の平泳ぎで中野区大会で優勝、都大会にも出ました。ただ、その頃にはバスケットの練習に誘ってもらい、バスケを優先していたのでスケジュールが合わなくて大会出場を辞退したこともあります。中学校に進んでからも、バスケット部員なのに陸上の区大会で優勝し、都大会で国立競技場を走ったこともあります(笑)。スパイクを履いて100mを13秒いくつかで走っていました。

突然の勧誘により、バスケットボールと出会う

小学6年の9月ごろ、中学校の恩師となる伊藤敏幸先生(現・熊本:慶誠高校監督)から突然「バスケットをやらない?」と連絡が入りました。入学する前のことです。このエピソードは講演の時にもよく話すのですが、小学校の時のスポーツテストの記録が良かったみたいで、それが伊藤先生の耳に入ったようでした。運動神経がいいというだけで「バスケットボールをやりませんか」と、実家に電話にかかってきたのです。

 でも、私はバレーボールをやるつもりでいたので、お断りをしました。それでも、先生からはものすごく熱心に声をかけていただきました。近くの東京文化中学校で試合があるから「バスケットボールがどういうものか見てください」ということで食い下がられたのです。たまたま、家の近くだったので見に行きました。歩いて10分もかからないところです。それが遠いところだったら面倒だし、行かな~いとなっていたし、バスケットにも縁がなかったと思います。近いというだけで試合を見に行ったことで、運命がガラリと変わりました。試合の後、伊藤先生とも話をしました。「どうだった? もし興味があるのならぜひやって!」みたいな感じだったと思います。

 私の記憶にはないのですが、一緒に見に行った母の話によると、家に帰る道すがら「バスケットをやる!」と話をしたそうです。現役を引退するころになって、そんな話を聞きました(笑)。帰りの時点で「やる!」と言ったぐらいだから、自分の中で面白そうだとか、魅力的だったんだろうと思います。こうして、試合を見にいったことと、熱心に誘ってくれた伊藤先生との出会いのお陰でバスケットを始めました。先生に「やります!」と返事してからは、先生の知り合いのチームが隣の杉並区にあり、中学から始めるよりもあと数か月だけどバスケットがどんなものか知っておいたほうがいいということで、週に何回か練習に通わせてもらいました。

 中野三中に入学してからの3年間は、伊藤先生からみっちり指導を受けました。素人から始めたわけですが、最終的には全国優勝まで経験することができました。周囲は、先輩も同期もミニバスからやっていた子ばかりでした。1年生の時は関東大会ベスト8、2年で秋田全中3位、3年の時に山口全中優勝でした。

ポジションアップでプレイの幅を広げる

 中学時代はバスケットにのめり込み、目標もでき、もっとうまくなりたいと、面白くなってきた日々でした。当時の身長は今とそう変わらず、ポジションはセンター。それこそ、ボールをもらってターンしてゴール下でシュートぐらいしかできませんでした。外角のシュートは打てるような選手ではありませんでした。高校1年までセンターで、その1年のときに全日本ジュニアに選ばれたので、2年からは外のプレイも覚えなくてはいけなくなり、フォワードとしてシュートレンジを広げ、3年のときには好き放題やらせてもらった感じです。


取材・文:清水広美 / 写真:大山妙子提供

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【第2回 前編】 川上 香穂里 高校バスケ時代 こちらから。
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【第1回 前編】 濱口 典子 バスケとの出会い~高校時代 こちらから。
【第1回 後編】 濱口 典子 全日本代表チーム時代 こちらから。
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