2017/01/20

トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第3回】 大山 妙子 (Vol.2) 高校進学~実業団(現WJBL)

オリンピックに出た“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。
それとともに、高校生プレイヤーへの熱いメッセージも。
リレー方式でつないでご紹介します。
サンちゃん(川上香穂里さん)から指名されたエース(大山妙子さん)がボールをキャッチしました。

大山 妙子


(Vol.2) 高校進学~実業団(現WJBL)

現在、テレビのバスケットボール中継の解説やバスケットボール・クリニックなどでおなじみの大山妙子さん。
東亜学園高校時代は、ディフェンスが3人がかりでも止められないほどの1対1の強さで、多くのファンを魅了。
さらに共同石油(現・JX-ENEOS サンフラワーズ)に入団後はプレイの幅をどんどん広げ、シューティングガードとして活躍しました。
また、相手のポイントゲッターに“仕事をさせない、”読みの深いディフェンス力もピカイチの選手でした。
日本代表としては、アトランタ五輪とアテネ五輪の両大会に出場。
アテネ大会では代表のキャプテンとして強いリーダーシップを見せてくれました。
高校時代からの愛称は「エース」。
その名にふさわしいプレイで、女子バスケット界を引っ張ってきた一人です。

東亜学園高校へ進学

東亜学園高校(東京都中野区)は、昔の校舎は古かったですけど、今はすっかり新しくなりました。西武新宿線の新井薬師(あらいやくし)駅からすぐの所に学校がありました。同じ場所に今もありますが、体育館は現在地下になって、設備もさすが私立高校、素晴らしくなりました。御小柴(みこしば)秀先生は65歳で亡くなられて、現在は古海圭二先生が指導されています。

中学の時、他の学校からリクルートの話もありましたが、もともと東京出身なのに東京の外に行くのはという反対もあり、中野三中の伊藤敏幸先生が信頼している地元のチーム、東亜学園高校に進路が決まりました。

中学の時はインサイドの選手としてプレイを作ってもらい、受け手としてボールをもらったら得点を決めてくればいいポジション。でも、高校に入って2年目、3年目からは、外角のポジションに変わったことによって、自分がコントロールをしたり、バスケットの面白みを見いだせた時期でもありました。リングを背にしたプレイとリングに正対するプレイは180度異なります。視野も違うし、プレイの幅も増やさないとできない。

東亜学園の普段の練習は、授業が終わって4時半から2時間半から長くて3時間ほど。先生もダラダラ長い時間やるタイプではありませんでした。合宿はまた別ですが、通常の練習は遅くても7時半には終わっていました。先生の機嫌が悪くなければ(笑)、帰れました。朝練は強制ではありませんでした。ただ、私は家から近く、体育館が自由に使えたので、時間を作ってはシュート練習などの個人練習には行っていました。

全国大会では小林高校(宮崎)とよく当たりました。1年の仙台インターハイ(1990年)の準決勝、あと3年の宮崎インターハイ(1992年)の時もベスト8決めで対戦。この連載のバトンを渡してくれたサンちゃん(川上香穂里選手:後に共同石油=現JX-ENEOSでチームメイトとなる)と初めて対決したのは、1年のインターハイ。メインガードではなかったですが、控えで出てきて、ゴムまりのように跳ねていた感じでした(笑)。すごく記憶に残っています。「あの子も同じ1年なんだ」とその存在を知り、ジュニアの合宿で会ってさらに仲良くなりました。そこからのつながりですね。

私生活にも厳しかった御小柴先生

 試合がうまくいかないと、学校に戻って練習。先生から怒られまくったことが多かったです。いろんな大会に行く時は学校のスクールバスに乗って行きました。どこに行くにも御小柴先生が運転して、先生の田舎が長野だったので、そこに行く機会も多かったのですが、それもスクールバスで。先生が国体チームの監督となった時は、開催地に関係なく、やはり東亜学園のスクールバスで行った思い出があります。

 御小柴先生は体育の先生で、教官室にいても、その場の空気を引き締めている先生でした。学校生活でなにか悪さをして先生の耳に入ると、まぁ怒られるのは当然。学校生活も私生活もちゃんとしないと、バスケットができなくなるとわかっていました。東京の高校はとかくゆるく見られがちですが、あのころは先輩後輩の関係も厳しかったです。先生が昔かたぎの方だったので、学校生活も私生活も「ちゃんとしなさい」という毅然とした指導でした。お休みは、大会前だとなくなりましたが、普段は週1でありました。他の学校は、試験前だと練習がなくなるチームもありますが、そういうことはまったくなかったです。試験中も普通に通常どおり練習していました。試験を気にして、早く終わるともありましたけど。

1年から全日本ジュニア入り

 幸いなことに、全日本ジュニア・ナショナルチームには1年から入れてもらえました。1年の時はとても大変でしたね。当時、名短付高(名古屋短大付属高校=現・桜花学園高校)の井上眞一先生が全日本ジュニアのヘッドコーチで、井上先生が話す用語やプレイを覚えなきゃいけない。環境的にも1年生だから下っぱだし、慣れなきゃいけない。

 とにかく井上先生が話すバスケット用語が全然わからなかったです。練習中に出てくる専門用語が多すぎて、1つ上の先輩から教えてもらい、この練習はこういう動きというのを把握していき、必死にノートに書き止めていきました。誰に見せるわけではなく、自分用にです。もともと、バスケットノートはつけていました。高校の時は1行日記ではないですが、自分の中に残っているものを毎日必ず書いていました。書かないでいると、その日が終わらない気がしていました。

ハイレベルな東京の争い

 今でもそうですが、東京の高校女子は全国常連チームがひしめいていました。東京成徳短大付属高校(現・東京成徳大学高)、明星学園高校、実践学園高校、そして東亜学園がだいたいベスト4を占めていました。東京で優勝することも大変でした。東京成徳には一つ上に石井もも代さんがいて、明星学園には同期に串原麻里さん、2つ上には女池純子さん、小山千栄子さん、土井智子さんらがいた世代です。

 インターハイでは準優勝が最高成績でした。1回も優勝をしていません。1年の仙台インターハイが準優勝。3年の宮崎インターハイは、準決勝で名短付(現・桜花学園)に負けて3位でした。ウインターカップも準優勝。国体だけ、東京都(選抜)で一度、2年の石川国体(1991年)で優勝しています。

コートネームは“エース”

 中学までは下の名前が妙子なので、「たえ」とか「妙ちゃん」とか呼ばれていました。コートネームの“エース”は、高校時代に御小柴先生につけてもらいました。理由は聞いたことはなかったです。共石に入ってからもそうでした。ただ、共石の初代“エース”には竹山とよ子さん(小林高校出身)がいらっしゃったので、カズさん(中村和雄監督:当時)が変えようか悩んだけど、「やっぱりお前はエースだ」という感じで“2代目エース”になりました。共石内で公募もしてニックネームを募ったんですけど、あまり気に入ったのがないとかで、そのままで行くことになりました(笑)。

 高校からのコートネームで愛着もありましたが、“エース”って言葉は重いじゃないですか。その名前に恥じないように、うしろ指をさされないように常に努力を惜しまずにやってきたつもりはあります。

貧血をかかえながらの選手生活

 中学の時、急に貧血になって走れなくなってしまったことがありました。伊藤先生から「体調が悪いのか? 検査を受けてこい」と言われて検査をしたらスポーツ性の貧血。ヘモグロビンの数値が低くて、ひどいときは1ケタ台で、持久力がもたない状況でした。そこからは、母が食事の面でサポートしてくれ、増血剤を飲みながら維持していました。高校、実業団に入っても貧血が治らず、金さん(金平鈺:現・富士通テクニカルアドバイザー)が監督をされていた時代はよく走る練習が多かったので、けっこうつらかったですね。

 レバーは苦くておいしく感じられないけど、貧血だから食べなくてはいけない。今でも焼き鳥のレバーは苦手で(笑)、引退してから何年かして、レバ刺しは食べられるようになりました。

共同石油に入団。チーム名の変遷の中でプレイ

 高校を卒業して入った時のチーム名は、共同石油でした。ただ、その年の秋に会社が統合して社名が日鉱共石になりました。シーズンが始まりチーム名も「日鉱共石」に変わってのスタート。その後、チーム愛称の「サンフラワーズ」は変更なしですが、社名の変更に伴って「ジャパンエナジー」から「JOMO」に変わり、現在は「JX-ENEOS」とかなり変遷しました。そのために、解説などの仕事を引き受ける際に、肩書きをどれにするのかよく聞かれます(笑)。

 高校3年の時に「大学や実業団、いろんなチームからのオファーが来てるよ」と言われましたが、具体的に御小柴先生は何も話してくれませんでした。「大学ならどこでも行けるよ」と言われても、大学に行く気はまったくありませんでした。大学と実業団ではレベル差があったので、自分はバスケットボールをやっていくつもりでしたから、実業団に絞っていました。


取材・文:清水広美 / 写真:大山妙子さん提供

【第3回】 大山 妙子 (Vol.1) バスケとの出会い こちらから。

【第3回】 大山 妙子 (Vol.3) 日本代表入り~2度の五輪出場 こちらから。
【第3回】 大山 妙子 高校生へのメッセージ&プロフィール こちらから。
【第2回 前編】 川上 香穂里 高校バスケ時代 こちらから。
【第2回 後編】 川上 香穂里 全日本代表チーム~現在 こちらから。
【第2回】 川上 香穂里 高校生へのメッセージ&プロフィール こちらから。
【第1回 前編】 濱口 典子 バスケとの出会い~高校時代 こちらから。
【第1回 後編】 濱口 典子 全日本代表チーム時代 こちらから。
【第1回】 濱口 典子 高校生へのメッセージ こちらから。



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