2017/01/25

トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第4回】 永田 睦子 (Vol.1) バスケとの出会い~純心女子高校時代

オリンピックに出た“レジェンド”たちはいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。今の高校生プレイヤーへのメッセージも。リレー方式でつなぎます。今回は、エース(大山妙子さん)から指名されたミラ(永田睦子さん)がボールミートしました。

永田 睦子

純心女子高校(長崎県)時代は、インサイドのパワープレーで得点を量産。それまで長崎のトップに君臨していた鶴鳴女子高校(現・鶴鳴学園長崎女子高校)の前に立ちはだかり、チームを全国大会出場に導いた。3年のウインターカップでは準優勝。シャンソン化粧品に入団後は、主力としてポストプレイだけでなく、ドライブやミドルショットなどプレイの幅を広げていき、特にパワフルなドライブやリバウンドの強さは他の追随を許さなかった。シャンソン化粧品の黄金時代(リーグ10連覇)を支えた一人で、Wリーグでは3回もMVPに輝いている。日本代表としても活躍し、アトランタ五輪(1996年)、アテネ五輪(2004年)に出場。2006-07年シーズンを最後に、現役を引退。

(Vol. 1) バスケとの出会いから純心女子高校時代 

3人の姉の影響でバスケットボールと出会う

 ミニバスを始めたのは、姉たちの影響です。永田家は4人姉妹で、私は末っ子。一番上の姉とは7つ、2番目の姉とは5つ、3番目の姉とは2つ違いでした。地元ではちょっと話題になる4姉妹。みんなバスケをやっているし、運動能力もそこそこ高かったので。あと1人いればチームができましたね(笑)。 

 “バスケ兄弟姉妹あるある”で、よくあるパターンですが、姉が小学校、中学校で練習をやっていると連れて行かれます。そこで小さい時かバスケットボールを見る環境にあって、いちばん身近なスポーツでした。実際に始めたのは小4から。私たちのころは西有家小学校スポーツ少年団でした。学校のクラブ活動なのですが、形的にはスポーツ少年団でした

 ミニバス時代はただ楽しくバスケットをやっていて、県大会などに行くようなチームではなかったです。それなりの練習はしていて、小学生の私はキツイと思ってましたが、今考えたら練習は週3回ですし、ゆる~い感じでしたね。

 当時の身長は163㎝か164㎝ぐらい。まぁまぁ大きいほうでした。だからゴール下でボールをもらってそのままシュート、というのが定番のプレイでした。またはリバウンドを取ったらそのままシュート。試合中にドリブルをした覚えがありません。ひたすら、ゴール下でパスをもらってシュートでした(笑)。得点はそれなりに取っていたような気がします。他のチームにそんなに大きな子はいるわけではなかったし。小学校の時は他のスポーツはやっていません、ミニバスだけでした。

厳しく長かった中学での練習

 西有家中学校の時のコーチは厳しいコーチでした。バスケットボール部に入るのも少し迷いました。「あいつ(姉たち)の妹なら来るだろう」みたいな感じでエスカレーターのように、たいした意志も持たないままなんとなく入りました。3番目の姉が3年でしたから。

 練習はきつかったです。まず練習が毎日で、夜8時ごろまでやっていました。顧問の先生ではなく外部コーチで、授業が終わってすぐ始まるのですが、そのコーチが学校から車で15分くらいの所にある体育館で管理をしている方でした。だから顧問の先生が授業の後にその体育館まで送ってくれて、そこでずっと練習です。顧問の先生が帰りも家の近くまで乗せてくれました。学校での練習だったら普通は6時半くらいで終わり。冬はもっと短かったと思います。

 今思い返してみると、練習はいつもさぼろうとは思っていたけど、やめようとは意外と思わなかったなぁ(笑)。いつも、どうにかしてやらないようにできないかなと思っていました。例えば、急に熱が出ないかなと体温計で何回も熱を測ってみたり。そんなレベルの話ですけどね。何回やっても変わらない(笑)。“フォーエバー練習”が多かったんです。例えば、ツーメン10分と言われても疲れてくる。するとピッと笛が鳴って「お前ら、それがツーメンか!」と言われ、10分がリセットされる。今、思い出しても怖い怖い(笑)。

 私だけ妙に身体が強くって、みんな練習中に倒れたりするんですけど、私は倒れたことがない。練習前の10分間走では同級生の子たちがバタバタ倒れたりするけれど、なぜか私だけが生き残る。バスケに一生懸命に打ち込んでいたわけではない、そんな中学時代でした。

 ある日、コーチと1対1で話す機会があり、それ以降はさぼらなくなりました。どんな話をしたのかはあまり覚えていません。いろいろと本当のことを話ができて気持ちが晴れたのが大きかったと思います。中学での最高成績は、九州大会に出場して1回戦か2回戦で負けた覚えが。練習が厳しかった分、多少強かったです。私の身長も中3には176㎝ぐらいに伸びていました。ただ、プレイはそう変わらず、ボールをもらってシュート。リバウンドをとってシュートという単純なプレイでした。

練習中に「帰れ!」と怒られ、
本気で帰ろうとした高校時代

 高校は純心女子高校(長崎:以下純心女)に入学。のんびりした校風で自分には合っていたような気がします。カトリック系の学校の雰囲気にも馴染めました。鹿児島純心女子高校は同じ系列高です。

 純心女にはバスケットで誘われました。中2の時に合宿に行き、チームの雰囲気も先輩たちも知っていました。家から学校まで通うにはバスを使っても接続がうまくいかないと2時間半以上かかり、さらに始発バスに乗っても間に合いません。なので、最初は監督である舟越孝之先生の家に下宿していました。長崎は離島から来る子もいるので下宿屋もあり、しばらくしてからはそうした下宿屋さんに移り、お世話になりました。朝と夜の食事が出て、お風呂は共同です。

 朝練は試験中のみ。試験中は練習ができないので、シューティングかグラウンドを走っていました。そんなに長くはなく、20~30分くらい。他のチームと比べて短いから驚きました。7時に校門が閉まるので、6時半には練習が終わり。全日本ジュニアチームの合宿に行って他の学校のみんなの話を聞くと、けっこう遅くまで練習しているのを知って、「すごいなぁ」と。当時はわからなかったのですが、ふんわりというか、のんびりしていたんですね。中学時代の練習のほうがしんどかったので、高校では毎日楽しかったです(笑)。

 でも、めちゃくちゃ舟越先生に怒られて「帰れ!」と言われたことがあります。それで帰ろうとしたら「なんで帰るんだ!」とまた怒られる。基本的に「もう一度お願いします」とは言っていたんですが、その時はきっと「もういいや、帰ろう」って思ったんでしょうねぇ。そんなことしたのは私だけです。全員はやりませんよ、みんな空気読みますから(笑)。

 体育館の裏の入口から帰ろうとしたら、二倍怒られました。最初に怒られて「もういい。俺の見えないところに行け」と言われて体育館の4か所の出口のうち1つだけ出て行くスペースがあり、もう1つのドアをあけたら外なんです。そのスペースでマネジャーが作業をしていて、しばらくそこにいたんですが、「もういいや、帰ろう」と思ったら、マネジャーが“このまま帰ったらやばい”という気配を察したんでしょう。私が帰ったら、残されたメンバーが大変なことになると。結局、練習しましたね。


純心女子高校で同級生と。長らく長崎県のトップにいた鶴鳴女子高校を破ってインターハイやウインターカップに出場、旋風を巻き起こした。後列中央、長身の選手が永田選手

図抜けたパワーから出た“ウワサ”話

 その頃、長崎ではサッカーの国見高校が強く、有名でした。その国見の男子サッカー選手よりも太ももが太かったというウワサが出たことがありました。それを聞いて自分でもビックリ。それはきっと太さではなく、パワーマックス(全力でこげる固定した自転車)の数値が高かったんじゃないかな。ちょうど、私たちが高校の2年か3年の時に長崎市に長崎県立総合体育館(かぶとがにアリーナ)ができ、データ分析ができる施設があって、県内の高校生アスリートを対象にいろいろなデータを調査しようということになりました。バスケットボールだけでなく、いろんな競技の選手がデータを測りました。だからそういうデータの比較ができたのだと思います。国見の選手に会ったこともないですから。“ウワサ”は、その時のデータが一人歩きしたんだと思います(笑)。私自身も周りの方から「データが男子並みだった」と聞き、国見の選手の誰と比較したかわかりませんが、「ふーん」と思ったくらいです。

 そういえば、10年くらい前にトークショーをやった時に「今だから言うけど」と、地元長崎の新聞記者からある話を聞きました。高校生の時に私たちの試合を見ていたある先生が「あのさぁ、女子の試合に男子が出るのはダメだけど、男子の試合に女子が出てもいいんじゃないか」みたいな話をマジで考えていたとか。この話もビックリでした。これでも女子なので(笑)。男子だって、そんな話を聞いたらちょっとイラッとしますよね。今はネタとして聞く分には相当面白いですけど。そういう感じで、当時はちょっと女子の中でもパワーが図抜けていた高校生でした。

 高校生活は、学校行事などでみんなでワイワイするのが楽しかったですね。バザーとか文化祭とか。バザーはチャリティーで自分が作ってきたものを売りました。私は編み物が好きだったので手袋です。みんなはバッグとか。最終的に売れ残りそうになったので押し売りみたいな感じで売りましたが(笑)。文化祭はうちのクラスに歌が上手な子がいて、その子の歌がメインで、私ともう1人で前説をやることになりました。ダダ滑りでしたけどね、

 バスケットの話に戻ります。全国大会は全部出ました。インターハイ、国体もウインターカップも。最高成績は、3年の時のウインターカップ準優勝です。3年の時の富山インターハイは星城(静岡)に負けてベスト8、国体は愛知に負けて3位でした。同期は、男子では大商学園の梶山信吾選手、北中城の中村直人選手と一緒です。女子では、後にシャンソンで一緒にプレーした名短附(現・桜花学園)出身の服部梨絵さん(シャンソン化粧品でプレー)がいます。昨年のウインターカップで桜花学園の井上眞一先生が62冠を達成したという話になった時、服部は「自分はそのうちの8冠している」って言っていました。すごいですよね(笑)。

取材・文:清水広美 / 写真:永田睦子さん提供

*Vol. 2では、高校時代に転機になったある言葉と日本代表での思い出について語っていただきます。



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