トップアスリートの高校時代 オリンピアン 【第6回】 村上睦子 (Vol.1) バスケットとの出会いと青海中時代
オリンピックに出た“レジェンド”はいったいどんな高校時代を送ってきたのか、昔を振り返っていただきました。それとともに、高校生プレイヤーへの熱いメッセージも。リレー方式でつないでご紹介します。山田かがりさんが指名したのは、シャンソンの先輩であるミチ。村上睦子さん(現姓・岩屋)がリターンパスをレシーブしました。
村上睦子(現・岩屋睦子)
シャンソン化粧品でも日本代表でも、クレバーなガードとして高い評価を受けた村上睦子選手
村上選手は、星城高校時代に春の高校選抜(1988年3月)でチームを初の決勝に導いたキャプテンです。高校卒業後はシャンソン化粧品に入団。そこでポイントガードに抜擢され、日本リーグ10連覇に欠かせない司令塔に成長しました。当時、チームを指導していた中川文一監督からも全幅の信頼を置かれていた選手でした。
司令塔としてクレバーなパスワークを生かしてゲームをメイクし、自らもスピードあふれるドライブでゴールに果敢にアタック。リーグ新人王をはじめ、2年目にはMVPを受賞。リーグMVPには計3回も輝き、ベスト5も7回受賞と、数々のタイトルも獲得しました。また日本代表としてもアトランタ五輪をはじめ、世界選手権、アジア大会などに出場を果たしています。現役の終盤にはアメリカのWNBAトライアウトにも挑戦しました。
第一線を引退後は、地元・常滑市(愛知県)では村上選手の名を冠した常滑市民小学生大会が設置されました。また結婚後は、バスケットボールクリニックの講師として全国を飛び回り、バスケットボールの普及に今なお活躍しています。
いろんなスポーツ経験の中でもミニバスが楽しかった
小4の時に常滑市(愛知県)でミニバス教室が始まり、友達がみんな行くというので、「じゃあ、私も」とはじめは興味本位でバスケットボールを始め、小5になったときには小学校での部活の形でも行いました。小6の時、強化として常滑市の選抜チームに入れてもらったのですが、市内中央に住んでいる子たちは上手い子が沢山いたため、私はそんなに使われていなかったと思います。ただ、バスケットはすごく楽しかったです。
バスケット以外には、田舎ならではの横のつながりがあり、地域の父親たちが指導者となりスポーツ少年団でソフトボールをやりました。大きな大会には出ませんでしたが、練習はガッツリ。その他にもスイミングスクール、近所のお兄さんに連れて行ってもらいサッカーの朝練など、いろんなスポーツをやっていました。
ミニバスは週1、そして強化練習は夜、親に送り迎えしてもらい中央の小中学校で練習をしていました。楽しくやっていた記憶しかありません。中学ではもっと上手になりたい、楽しいからこそ続けたいという気持ちがあり、中学でもバスケ部に入ることを決めました。
愛知県大会に出場したことで変わったバスケット人生
青海(せいかい)中学校では、常滑市内の陸上大会に借り出された記憶があります。走り幅跳びで4m60㎝を跳び、しばらくその記録は塗り替えられなかったと聞きましたが、中学で陸上競技をやっている娘にその話をしたら、娘は5mとその記録をはるかに超していました。
中学時代はバスケ一色。ほぼ休みはなく、毎日練習。土日も試合があれば出向き、なければ練習です。顧問の冨岡洋先生は九州出身でインカレに出て代々木でプレイしたと聞いています。若くて一緒にやってくれる先生でした。私の下の代にデンソーに行った生路(いくじ)という星城の後輩も同じ中学の出身。中3の時に常滑市内大会で勝ち郡大会で優勝、愛知県大会に勝ち上がりました。最終的には愛知県大会の準決勝で守山中(名古屋市)と当たり、ダブルスコアで負け。まぁ全然かなわなかったです。県大会3位なので東海大会には進めませんでした。
当時の守山中は、全国大会で何連覇もしている強豪チーム。まぁ田舎から出てきた私たちとは比べようがなかったです。勝てるとは思えなくて、圧倒されました。でも、県大会に行けたことで、私のバスケット人生が変わりました。
中学校でバスケットが面白くなり、星城高校へ進学
この県大会に星城高校(愛知県豊明市)の神谷耕三先生が観に来ていて、私のプレイを見て「うちでやらないか」と声をかけてもらいました。この話がなければ、地元の普通高校に進学し、バスケットは続けながらも、ゆくゆくは子供が好きだから保育士さんになれたらいいなぁと思っていたので、どうしようか、とても悩みました。でも、この時期ますますバスケットが面白くなっていて、素直に自分を試したいと思い、星城高校への進学を決めました。
高校進学のことで父親と対立
しかし、星城に行くことに父親が大反対。田舎娘がスポーツで進学しても、上には上がいるし、大成しない。それに星城は寮生活なので、親元を離れて生活することが父には寂しかったのかもしれません。ずっと反対していました。
ある日、父の仕事仲間で親友の方が家にきて、進路のことでもめていることを知り、「こんなに娘が行きたいと言っているなら、行かせていいんじゃないか」と説得してくれました。最終的に私が折れなかったこともあり、父から渋々OKをもらいました。
晴れて星城高校に進学した後は、あんなに反対していた父も私が頑張っている姿を見て、熱心に応援してくれるようになりました。最初はルールなどわからなかったようですが、一所懸命に覚えたようです。試合を見続けるうちに目が肥えすぎてきて、シャンソン時代にはうるさいくらいに“バスケット通”になっていました(笑)。
※次回のVol.2では、星城高校時代の思い出を語ってもらいます。
写真提供/村上(岩屋)睦子さん
◆トップアスリートの高校時代 オリンピアン◆バックナンバー◆
【第5回】 山田かがり (Vol.1) バスケットとの出会い~守山中時代
【第5回】 山田かがり (Vol.2) 名短付高(現・桜花学園高) 1年次の苦い思い出
【第5回】 山田かがり (Vol.3) 名短付高(現・桜花学園高) 2年次&3年次の思い出
【第5回】 山田かがり (Vol.4) シャンソン化粧品での転機
【第5回】 山田かがり (Vol.5) 日本代表としてアトランタ五輪に出場
【第5回】 山田かがり (Vol.6) 母校と実業団のコーチを経験
【第5回】 山田かがり 高校生へのメッセージ&プロフィール
【第4回】 永田 睦子 (Vol.2) 高校での転機~オリンピック出場
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