2017/02/4

宮地陽子の最新USA高校バスケPRESS  【第2回】  NBAでプレーするモリース・ンドゥウール Vol.1 日本の高校生の印象

アメリカで活躍するLA在住のスポーツライター宮地陽子さんによるコラム「宮地陽子の最新USA高校バスケPRESS」
高校生世代やバスケ大好きな人のための最新USAバスケ情報満載で届します。
海外に挑戦する日本人バスケットボール選手などもちろんフォーカスします。

第2回目は、セネガル出身で現在、NBAのニューヨーク・ニックスで活躍するモリース・ンドゥウール選手。
4回にわたるインタビューの第1弾をお届けします。

現在、NBAのニューヨーク・ニックスで活躍する#2モリース・ンドゥウール。岡山学芸館を卒業後に渡米し、大学でスキルアップ。2016年、NBA入りの夢を実現させた
(写真/ゲッティイメージズ)

モリース・ンドゥウール (岡山学芸館高校出身)

NBAニューヨーク・ニックス2番、モリース・ンドゥウール(Maurice Daly Ndour)。特徴的なドレッドヘアで、エネルギッシュにプレーする彼はセネガル出身の選手だ。

実は彼は、セネガルを出てすぐにアメリカに渡ったのではなく、高校時代3年間を日本で過ごしている。2008年から3年間、岡山学芸館(岡山県)で勉強とバスケットボールに励み、バスケ部では中心選手として全国高校総合体育大会(インターハイ)やウインターカップに出場。

特に3年のウインターカップでは、1回戦(対前橋育英)で52点、20リバウンド、6ブロック、2回戦(対能代工業)では42点、25リバウンド、3回戦(対弘前実業)では43点、26リバウンド、優勝チームの北陸に敗れた準々決勝でも39点、18リバウンドと、圧倒的な存在感を示した。

岡山学芸館を卒業した後、アメリカの短大を経て、NCAAディビジョンⅠのオハイオ大に進学し、そこでも活躍。オハイオ大を卒業した2015年のNBAドラフトでは指名されなかったが、スペインのレアル・マドリード、NBAサマーリーグを経て、2016年夏にニックスと2年契約を交わした。

世界最高峰のリーグ、NBAでプレーするようになったンドゥールは今、日本での高校時代を振り返って、どんなことを思うのだろうか。12月にニックスがロサンゼルスを訪れたとき、試合前のロッカールームで話を聞いた。

2008年、岡山学芸館高校への留学生として来日したモリース・ンドゥウール選手(後列右から6人目)。1年次からその高い運動能力で注目された

とにかく一生懸命に走って
シュートがうまかった日本の高校生プレーヤー

─9年前、日本のバスケットボールの最初の印象は何でしたか?

「最初の印象は、『ワオ、ここでは走らなかったら勝てないぞ』だった。それは、コーチからもいつも言われていたことだった。『ハシレナイトカテナイ』(この部分は日本語で)ってね。とにかく、みんな一生懸命走って、一生懸命プレーして、シューターたちはみんなシュートがうまいということだった。

 日本のバスケットボールは好きだ。みんなスキルがある。海外でプレーしたり、海外でプロとしてやろうとしたときにはサイズ的に不利かもしれないけれど、スキルに長けているし、みんな一生懸命やっていた」

──最初に日本に行ったときのあなたは、今ほどは長身ではなかったのですよね?

「行ったときからけっこう高かったよ。6フィート7インチ(200.6cm)ぐらいだったかな」

──日本にいる間に身長は伸びましたか?

「少し伸びた。日本を離れる頃には、6フィート81/2インチ(204.5cm)ぐらいになっていたからね」

──日本にいた頃から比べると、今はだいぶ筋肉もつきましたよね。日本に行って最初のシーズンの映像を見たのですけれど……。

「ヤセっぽちだったよね(笑)。うん、あの頃は本当に痩せていた。コーチからもいつも、痩せていると言われていた。痩せていて、筋肉が足りなかったら、他のことを使わなくてはいけない。クイックネス、スピード、そして頭だ。僕も、そういったことに頼っていた」

──日本ではパワーのある選手は少ないですし、やっている間は筋肉はそれほど必要ではなかったのではないですか?

「でも、あの頃の僕はほとんどフル出場で試合に出ていて、しかも大会だと1日に2試合戦うこともあった。2試合、40分ずつプレーすることもあった。だから体力がなければ、疲れてしまう。背の低い選手の中で僕の背が高いからといって、みんなが考えるほど簡単なことではなかったんだ。ダブルチームされたりもするし、毎回、ハードにプレーする必要があった。そうすると、身体も疲れてくる。だから、強くなることは重要だった。力をつけることは相手選手と押し合うためだけでなく、スタミナ面でもプラスになるからね」

──日本での大会の記録を見ると、確かに40分、38分とプレーして、40点、20リバウンドをあげたりしていましたよね。

「そうだった。あの頃のことはよく覚えている。さっきも言ったように、簡単だったけれど、簡単ではなかった。多くのことを求められていたからね。まだ若い年齢で、コーチから多くのことを期待されていた。得点だけでなく、ディフェンスではチームの支柱となり、リーダーである必要もあり、すべてを完璧にやらなくてはいけなかった。日本人のチームメイトたちみんなから尊敬してもらっていた。上級生がいても、外国から来た選手ということで尊敬してくれていた。要求されることも多かった。それによって、本来もっと楽しいはずのバスケットボールが、それほど楽しくなかったという面もあった」

取材・文/宮地陽子  写真/ゲッティイメージズ  写真協力/岡山学芸館

◆モリース・ンドゥウール Maurice Daly Ndour ◆

1992年6月18日、セネガル・ティエス州生まれ。
2008年に来日し、岡山学芸館高校に留学。
2011年に同校を卒業後はNBA入りをめざして渡米。
モンロー・カレッジ(ニューヨーク州)から2013年にオハイオ大に転校。
2015年のNBAドラフトは指名外だったが、2016年7月にニックスと2年間の契約を交わした。
ポジションはスモール・フォワード。
母国・セネガル代表としても2014年から中心選手として活躍している。

<<<著者/宮地陽子さんプロフィール>>>
東京都出身。LA在住。国際基督教大学教養学部卒業後、出版社勤務を経て、87年からシカゴ近郊に住居を移す。翌88年、NBAを中心にスポーツライターとしての活動を始め、以来、雑誌を中心に執筆活動。マイケル・ジョーダンをはじめとするNBAのトップ選手の取材や最近ではアメリカに挑戦する日本人バスケットボール選手の取材にも積極的に取り組んでいる。



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