2017/02/13

宮地陽子の最新USA高校バスケPRESS  【第2回】 NBAでプレーするモリース・ンドゥウール Vol.2 岡山学芸館高時代の思い出の試合

アメリカで活躍するLA在住のスポーツライター宮地陽子さんによるコラム「宮地陽子の最新USA高校バスケPRESS」
高校生世代やバスケ大好きな人のための最新USAバスケ情報満載で届します。
海外に挑戦する日本人バスケットボール選手などもちろんフォーカスします。

NBAのニューヨーク・ニックスでプレーする
モリース・ンドゥウール (岡山学芸館高校出身)

NBAのニューヨーク・ニックス2番、モリース・ンドゥウール(Maurice Daly Ndour)。特徴的なドレッドヘアで、エネルギッシュにプレーする彼はセネガル出身の選手だ。世界最高峰のリーグ、NBAでプレーするようになったンドゥールに、日本での高校時代を振り返ってもらい、日本バスケへの思いを聞いた。インタビューの第2弾は、思い出に残っている試合と、日本での練習で大変だったことについて。

現在、NBAのニューヨーク・ニックスで活躍するモリース・ンドゥウール
(写真/ゲッティイメージズ)

忘れられないのは、ウインターカップで
2年連続で北陸に負けた試合

──一番思い出に残っている試合はどの試合ですか?

「広島での試合だった。アリーナの名前は忘れてしまったけれど、世界選手権で使ったアリーナ(2006年世界選手権で使用され広島グリーンアリーナ)での試合だ。

 あれは、休暇でセネガルに帰る直前の大会だったんだ。中国大会か何か、地区大会だったと思う。その試合で、僕はものすごく活躍して、51点ぐらい決めることができた。すばらしい試合で、いい気分だった。その気分のまま故郷に戻り、2週間の休暇を過ごすことができた。

 それ以外では、最後のウインターカップでベスト8に進むことができた時。さっきも言ったように、チームからは多くのことを求められていたし、僕も、ずっとインターハイやウインターカップで決勝まで戦いたいと思っていた。あの大会でベスト8に進んだのは思い出深い。

 あと忘れられないのは、(ウインターカップで)2年続けて北陸高校に負けたことだ。あの2試合のことは忘れられない。2年のときにウインターカップで北陸に負けて、3年になって高校最後の年には、勝てるチャンスがあったのに負けてしまった。あの試合はすごく悔しかった」

──あなたが40分出て、39点、18リバウンドをあげた試合ですね。

「スタッツのことは忘れていた」

──その最後のウインターカップの1回戦の前橋育英との試合で、あなたは52点、20リバウンド、6ブロックをあげていました。

「ワオ!」

──この時の2回戦は能代工業との試合でしたね。

「能代は大嫌いだった。すごく小さいんだけれど、すごくハードにプレーしてきて、大嫌いなチームだった(笑)」

──3回戦の弘前実業との試合では43点、26リバウンドをあげていました。

「26? ワオ! 今思うと、クレイジーな数字だった。若いときは、とにかくプレーするだけで、数字のことは考えなかったのだけれど、そうやって今聞くと『ワオ!』ってなる。日本にいた時の試合は今もまだDVDで持っている。ハイライト映像とか、時々見て、当時を思い出したりもしている。当時のチームメイトたちとも話したりするし、岡山学芸館とも連絡を取っているんだ。

 僕にとって日本の人たちは親戚のようなものだ。このチーム(ニックス)にも日本人がいるんだ。ストレングス&コンディショニングのコーチの一人が日本人(パフォーマンス・アナリストのシモン・イシカワ)だから、時々、彼と日本語で話したりもしている」

岡山学芸館高校時代のンドゥウール。 200㎝を超える高さとスピードを武器に得点を量産した

──日本で一番大変だったことは何でしたか?

「僕にとって一番大変だったのは、日本の高校アスリートの生活スタイルだね。練習して、授業を受けて。家を朝7時に出て、夜8時まで戻らない毎日だった。あと練習のやり方。それも、(セネガルとは)まったく違うところだった。最初の6ヶ月は、本当に大変だった。でも、練習し続けて、何度もやるうちに自然にできるようになった。

 今では、あの経験がここ(NBA)まで到達するのにプラスになったと思っている。いつでもハードワークのメンタリティを持っていたからね。それを続けるだけだった。そういったことが簡単にできるようになった。他の人たちよりも、ずっと大変なことをやってきたという自負があったからね。日本にいたときは、そういった時間を愉しむことはなく、価値もわからなかったけれど、今、離れてみて、日本で過ごしてよかったと思っている」

──日本では楽しむことはできなかったんですね。

「あまりできなかった。やらなくてはいけないという気持ちでやっていた。楽しくはなかった。まだ若いときに、まわりが厳格で、あれだけたくさん練習しなくてはいけないと、やっていることに楽しみを感じられなくなる。でも、あれは僕にとって学びの期間だったのだと思う」

※Vol.3の次回は、日本の高校バスケが向上するためにンドゥウールが感じていること、さらにアメリカのバスケに適応するために求められたことについて聞きました。

取材・文/宮地陽子  
写真/ゲッティイメージズ  写真協力/岡山学芸館高等学校

◆モリース・ンドゥウール Maurice Daly Ndour ◆

1992年6月18日、セネガル・ティエス州生まれ。
2008年に来日し、岡山学芸館高校に留学。
2011年に同校を卒業後はNBA入りをめざして渡米。
モンロー・カレッジ(ニューヨーク州)から2013年にオハイオ大に転校。
2015年のNBAドラフトは指名外だったが、2016年7月にニックスと2年間の契約を交わした。
ポジションはスモール・フォワード。
母国・セネガル代表としても2014年から中心選手として活躍している。

<<<著者/宮地陽子さんプロフィール>>>
東京都出身。LA在住。国際基督教大学教養学部卒業後、出版社勤務を経て、87年からシカゴ近郊に住居を移す。翌88年、NBAを中心にスポーツライターとしての活動を始め、以来、雑誌を中心に執筆活動。マイケル・ジョーダンをはじめとするNBAのトップ選手の取材や最近ではアメリカに挑戦する日本人バスケットボール選手の取材にも積極的に取り組んでいる。



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